おかえり

もどってきちゃったのでおかえりです

8月31日「2度目がないことについて」

2度目がないということについて過剰に気にするのはなぜかといえば、私に「興味をもたれていない」という事実と向き合いたくないからだ。ここでいう2度目、というのは私と、「他者」が1回遊ぶなり、食事するなりした後の「もう一回同じ人と遊ぶなり食事するなりするという行為」ということだ。

 

基本的に誰かに会った後、よっぽどお互いの印象が悪いとかでもない限り、「今日はありがとう!」というようなお礼をその日のうちか翌日にするよね?それからしばらく(たとえば何週間ぐらいか)経っても「次はどうする?」みたいな話がないとすごく不安になってしまう。これは私に「もう一度会いたい」と思わせるような人間的魅力を保持していなかったからなのではないか、と悲観的になってしまうのだ。例えば「また今度行きましょうね~」と言ったとして、そのまた今度はいつなんですかと。何月何日何曜日地球が何回まわった時?

完全にこういう考え方は自意識肥大化の最たるものだ。人には人のスケジュールや生き方があるわけだし、本当に死ぬほど忙しい場合って誰かに会うとか考えられないし、特に深い関係でもない私に会いたいとか会いたくないとかそこまで考えているわけがない。

 

なのに、人から誘われないと「私に興味がないんだ」と不安になってしまう。自分が「人に興味を持たれる人間ではない」という意識がずっと拭えないために、他人の言動からその意識を強くさせたがっているだけだ。そこまでわかっているはずなのにめちゃめちゃ不安になっていくのってなんでだろうな。なんかすっごく怖い。

一応私もまともに生きていきたいという気持ちがきちんとあるので、そういう不安を当人に出すこともなく、ちゃんと次をお誘いする。友人だろうが、フォロワーだろうが、好きな人だろうが、自分が会いたいと思ったら、肥大化した自意識は一旦置いといて、自分から誘っている。でも、またふとした瞬間に思うのだ。「私ばっかり誘っているけど、この人本当は私のお誘いが嫌なんじゃないのかな。」と。

 

結局そういう自己否定の意識ってずっと残り続けるから簡単には払拭できない。そうしてなんとなく私から疎遠になると、向こうも特に連絡をすることなく疎遠になっていく。そんな人間関係ばかりを繰り返して来た。

本当はちゃんとわかっている。私以外の人は私に興味がなかったら、私の誘いを普通に断るのだ。私以外の人にとって単純なお誘いの有無なんて、本当に些細なことで、とりとめもない、どうでもいいことなんだ。

人間的魅力がほとんどないのに、有名人でもないのに、話が面白いわけでもないのに、顔が可愛いわけでもないのに、「私に興味がないんだ」って落ち込むのってちょっと自分のことが好き過ぎだよね。自分が好き、という気持ちを他の誰かへの好きに向けられたらいいのにね。