7月6日「VRで告白したら振られた話」
noteに投稿出来なくなったのは今から2ヶ月ぐらい前のことだ。何度やっても投稿エラーが出てしまう。しばらくは文庫メーカーで書きなぐったものをTwitterに載せていたけど、ほどなくそれもやめてしまった。私はとにかく飽きっぽいのだ。熱しやすく冷めやすい。そういえば去年の今頃買ったキーボードはずっと部屋の片隅に置きっぱなしだ。一体いつになったら弾くのだろう。
どうしてまた文章を書く気になったかと言えば遠藤周作の「十頁だけ読んでごらんなさい 十頁たって飽いたらこの本を捨てて下さって宜しい」という本を読んだからだった。自分も何かを発信しなくては、という使命感にかられつつ、とはいえ一般人の面白くない文章なんざ誰が読むんだよ、と思いつつ、なんとかはてなブログを引っ張り出すことに成功した。そんなわけでまた備忘録を書く。自分が自分のことを忘れたときに、誰かに思い出してもらえるように。
タイトルの話をしよう。
ある日曜日、私は急にコンプレックスをまた引っ張り出してしまった。私は告白して受け入れられたことがただの一度もなくて(本当にただの一度もない)それをなぜか思い出してしまったのである。
自分も人生で一度くらいは告白を受け入れられたい。
気づいたら「VR告白」と検索していた、VRの機械も全く所持していないんだけど、VRで告白したかったのだ。
何件か動画を漁ると、「運命の相手の声が聴こえる!?恋愛体験VR」というものを見つける。サムネに男子高校生がいる!これだこれだ~!
そしてタイトルに戻る。幼馴染みの男子高校生に告白して「言ってなかったんだけど俺、彼女いるんだよね」と言われて玉砕した。
嘘だろ?VRまでしといて何故歴史を繰り返さなきゃならないのか?
忘れていたトラウマをもう一回自分で掘り起こしてしまったので、催眠音声を聴きながら寝た。告白したいなどとわけのわからないことを考えずにさっさと性欲を処理して眠ればよかったのだ。
薄れる意識のなかで人生における無駄の積み重ねを少しだけ後悔した。後悔してもどうせ無駄を積み上げていくのでこの後悔にはほとんど意味がない。これこそ無駄である。
(ちなみに件の動画は振られてからが本編?らしいので告白はただのフラグに過ぎなかった)