おかえり

もどってきちゃったのでおかえりです

4月25日「ひさびさにお気持ちクリニックへ」

日記あんまり書けてなくてすみません。

もし読んでくれている人がいたら気長に待ってくれると嬉しいです。

 

今日はひさびさに心療内科に行った時のことを書きます。

 

 

3月、いや、それよりもう少し前から不安定な状態が続いていたので、フォロワーさんに教えてもらった心療内科に行くことにした。

 

問診票を書き、変なアンケートみたいな心理テストに答えてぼーっとすること20分、やっと先生に対面することとなった。

もっと60ぐらいのおじさんをイメージしていたが、中にいたのはラバーガールの大水に瓜二つの男性だった。(おそらく40代の前半ぐらいだろうか)

先生がせっかく名前を名乗ってくれたのに、私は「ハゲてるな……」ということに意識が向いていたので先生の名前を聞いていなかった。先生の名前を知らなくてもまあ問題はないだろう。こちらから呼びかける時は「先生」なわけだし。

 

何に困っているかを事前に書いてきてください、とのことだったので、その紙を読みながら、私が補足を入れるという形で診察が進む。

 

……のことはとてもよくわかりました。でも、他にも不安に思っていることがあるんじゃないかな」

 

「このまま一人で死ぬのかな、とは思いますけど」

 

「え、急に生死の話になっちゃうんだ笑」

 

正直に言うと、結婚したいという願望の話をしていいのか迷っていた。結婚したいと思ってつらい気持ちになることはあるけど、それは病気かと言われれば違うような気もしたし、そんなことを先生に話すのはなんとなく恥ずかしい気がしたのだ。

 

「実は結婚したいな、と思ってて」少し考えた後、私はゆっくりと口に出す。

 

「あ、そう。若いのにもうそんなことを考えているんだ。でも結婚って籍入れるだけでしょ?あなたにとって結婚って何?」

 

結婚とは?

 

私にとって結婚は「ずっと一緒にいることの証」みたいなものだ。ずっと一緒にいる、という意思を結婚が保証してくれるものだと、私はそう思っている。すでに結婚している人や他の人から見ればきっと笑われるようなことだと思う。自分でもそう思う。自分の側から人が離れていくことに異常なまでの恐怖がある自分にはずっと一緒にいることを担保してくれる何かがないと安心できないのだ。人間関係は流動的なものだから誰かがずっと一緒にいてくれることなんてありえない?それをわかっていながら、それでも誰かに「ずっと一緒にいたい」と思われたいのだ。私が「ずっと一緒にいたい」と思った人とずっと一緒にいたいのだ。

 

私は先生にそんなようなことを言った。

先生がどう答えたか忘れてしまった。その後急に休日の過ごし方の話になったような気もするし、SSRIの話をしていたような気もするし、上手く思い出せない。

 

何かを話した後、先生は

 

「採血しましょう」と言った。

 

私の左腕に針を刺そうとする先生の指が本当に冷たくて、すごくぞっとした。こんなに指が冷たい人に会ったことがなかった。

 

「何か異常があればこちらから連絡します、異常がなければ次に来た時に話しますね」

 

受付で次に行く日にちを決めるのを忘れてしまった。薬がなくなる頃に行かなければ、と思う。

4月18日「一週間日記」

一週間日記(サードシーズン)

暇かつ、精神があんまりよくないときは日記を書いて、あとから「こんなことを考えてたんだな」と思うことにしている。

2018年の秋がファーストシーズンで、2019年の春がセカンドシーズン、そして2021年の春がサードシーズンです。

毎日書き溜めた日記を一週間経ったら、こうしてブログにまとめます。

 

4月11日(日)

ひさしぶりに日記を始めたきっかけはその前日に友人から「noteやってないの?コンテンツ力がすごいよね」などとおだてられたからだった。ちなみにnoteはやってたんだけど、なぜかログイン出来なくなったので放置している。

テキトーなメモみたいなのを探していたら、新卒の時に使っていた無印のメモ帳があったので、これで書くことにした。ちなみにめっちゃ小さい。中をめくってみたら、ロクでもないことしか書いてなくて笑った。これじゃあ仕事も出来ないわけだ。

4月12日(月)

雑誌に載っていたアイライナーコートを使ってみたら、全然落ちなくて感動した。アイライナーコート記念日です。

嬉しくてお昼は外食することにした。無職だった時によく通っていた中華屋さんでご飯を食べた。なんで通っていたかといえば、単にハローワークの近くだったからだ。そして職場がそのハローワークの近くになったので、今日行くことにした。

ランチで新しく刀削麺をやっていたので注文した。麻婆刀削麺。美味しいけど、リピートするほどではなかった。

 

4月13日(火)

 きちんと引継ぎが出来なかったせいで後任の人(しかも新卒!)とその子の上司(しかも親会社からの出向!)に迷惑をかけている。電話がかかってくるたびに対応しているわけだけど、今の部署の人に「大変そうね」という顔をされるので、少し気まずい。
上司から電話がかかってきた。ある取引先の人の話。私が前年度にお願いしたことをメールでは「やりました」と言っておきながら、実は全くしていなかったのだ。思えばその人はかなりフリーダムで「私、定時で帰りたいんですけど」などと電話でのたまうような人だった。その人も年度が替わったので異動したらしい。上司の人もその人と仕事をしたことがあるらしく、電話で「ほんとにいけすかないやつでしたよね」と言い合ってたら、今の部署の人にげらげら笑われた。恥ずかしかった。

 

4月14日(水)

同じフロアに同期がいる。部署は異なるが、フロア全体の庶務担当をしており、必然的に話すことも多い。

今日同期の机に行ったら、感染対策のために机に置いてある仕切りのアクリル板に猫の写真が貼ってあった。以前から飼っている猫だ。

「そんなのありましたっけ?」と尋ねると、

「昨日から貼り始めました」と返ってきた。

直会社の備品にそんな俗物を貼っていいとは知らなかった。私もイケメンのクリアファイルとか貼りたいな。でも貼ったら貼ったで恥ずかしいか。

 

4月15日(木)

特に何もしていないんだけど、めちゃくちゃ疲れた。正直日記も書きたくない。まあこういう日があってもいいかな、と思う。

今日は初めて会社に保健室があることを知った。保健室と言っても、ただベッドがあるだけだけど。今後利用しないことを祈る。

 

4月16日(金)

今日は暇だったので、先輩とラミネートをした。

先輩が休憩室のポットの電源を勝手に持ってきて、休憩室の横にラミネートの機会を持ってきて、ガシガシラミネートをしている。私は紙をラミネートフィルムにセットする役だ。

途中で新人の女の子が通りかかって、「ラミネートなんて私、初めて見ました!」と言っていて、「世代間の違いかな~」と思っていたが、よく考えたらその子は私より職歴あったし、普通に年上だった。地域差の違いかな?

Twitterもインスタもやっていないと豪語していたはずの先輩が、別の係りの先輩(私の1個上の代の人だ)を指して、「あの人は精神がいつも安定してるよ」と言っていた。精神が安定という表現はSNSやっていないと出てこない気もしますがみなさんどう思いますか?
その先輩が本当に精神が安定してるか知らないけど安定しているように見せるのがうまいのはすごく羨ましいなと思った。

そういう人に私はなりたい。

 

4月17日(土)

低気圧で死んでました。

 

4月18日(日)

17時ぐらいまで死んでました。

この日に会おうと思っていた方すみません。いつかちゃんと会わせてください。(私信です)

 

 

7月6日「VRで告白したら振られた話」

noteに投稿出来なくなったのは今から2ヶ月ぐらい前のことだ。何度やっても投稿エラーが出てしまう。しばらくは文庫メーカーで書きなぐったものをTwitterに載せていたけど、ほどなくそれもやめてしまった。私はとにかく飽きっぽいのだ。熱しやすく冷めやすい。そういえば去年の今頃買ったキーボードはずっと部屋の片隅に置きっぱなしだ。一体いつになったら弾くのだろう。

どうしてまた文章を書く気になったかと言えば遠藤周作の「十頁だけ読んでごらんなさい 十頁たって飽いたらこの本を捨てて下さって宜しい」という本を読んだからだった。自分も何かを発信しなくては、という使命感にかられつつ、とはいえ一般人の面白くない文章なんざ誰が読むんだよ、と思いつつ、なんとかはてなブログを引っ張り出すことに成功した。そんなわけでまた備忘録を書く。自分が自分のことを忘れたときに、誰かに思い出してもらえるように。

タイトルの話をしよう。

ある日曜日、私は急にコンプレックスをまた引っ張り出してしまった。私は告白して受け入れられたことがただの一度もなくて(本当にただの一度もない)それをなぜか思い出してしまったのである。

自分も人生で一度くらいは告白を受け入れられたい。

気づいたら「VR告白」と検索していた、VRの機械も全く所持していないんだけど、VRで告白したかったのだ。

何件か動画を漁ると、「運命の相手の声が聴こえる!?恋愛体験VR」というものを見つける。サムネに男子高校生がいる!これだこれだ~!

そしてタイトルに戻る。幼馴染みの男子高校生に告白して「言ってなかったんだけど俺、彼女いるんだよね」と言われて玉砕した。

嘘だろ?VRまでしといて何故歴史を繰り返さなきゃならないのか?

忘れていたトラウマをもう一回自分で掘り起こしてしまったので、催眠音声を聴きながら寝た。告白したいなどとわけのわからないことを考えずにさっさと性欲を処理して眠ればよかったのだ。

薄れる意識のなかで人生における無駄の積み重ねを少しだけ後悔した。後悔してもどうせ無駄を積み上げていくのでこの後悔にはほとんど意味がない。これこそ無駄である。

(ちなみに件の動画は振られてからが本編?らしいので告白はただのフラグに過ぎなかった)

2月4日「私より先に泣いてはいけない」

3000円払ってカウンセリングを受けてきた。

昨年ぐらいから、ADHDに加えてASDも持っているんじゃないかという漠然とした不安が私を支配していた。なんとなく、会話がずれていて、噛み合わないことで、仕事に大きく支障が出ていたからだった。
先生曰く、ASDは対処療法だからカウンセリングを受けることでしか治せないらしい。先生を盲信している私は、そんなわけでカウンセリングを受けたのだった。

「事前にいろいろ(自分がままならなかった)事象を集めておくといいですよ」という先生のアドバイスに従い、手帳に怒られた時の状況やその時のままならなさを事細かに記しておいた。

カウンセラーは50代ぐらいの女性だった。
「今までカウンセリングを利用したことがありますか?」と聞かれたので、正直に学生時代に何度か、でも何を話せばいいのかわからなくて、と答えた。

「あら、もったいない。カウンセリングはなんでも話していいんですよ」とカウンセラーが微笑む。カウンセリングが始まった。

私は用意してきた手帳をもとに自分のままならなさと、その際に上司から言われたことを一気に話した。私が話終えるとカウンセラーが口を開く。

「失礼ですけど、その方っておいくつですか?」

今年で30と言ってたような気がします、と答えると、彼女は私が想像していなかった言葉を投げかけた。

「それはね、あなた30の人がほぼ同世代の部下に言っていい言葉じゃありません」

私は自分のカウンセリングが、思いもよらない方へ傾くのを感じていた。

「あなたからお伺いしたあなたの上司からの言葉はこれパワハラですよ。第三者で社会人経験が長い私が言うんだから間違いありません!」

その後も私が説明した事象に関して「これはパワハラです」「そんな言い方はありません」などの否定が延々と続く。彼女の目には涙が溢れ、ついには私にこう言った。

「あなた頑張りましたね、よく耐えましたね。」

いや、違うんです。それは私が言われたことが出来ていないから怒られているのであって、それが何度も注意されても出来ないから、こういうことになったんです。全ては私が悪いんです、と何度も何度も彼女の涙を否定した。

実際上司たちの言葉は明らかに正論であり、自分のままならなさに全ては端を発しているんだからパワハラという指摘はお門違いなのだ。そもそも自分のままならなさを具体的にどう解消できるかを相談したかったのであって、上司からのパワハラを相談したいわけではない。

しかし、私の否定を彼女は「あなたはもうその環境になれちゃってるんです」との言葉で更に否定してくる。これでは何の解決にもならない。

カウンセラーがひとしきり泣き、私の懸命な否定もむなしく時間が終わった。

「あなたはよく頑張りました。上司からの言葉で心を壊さないでください。」と言って、カウンセラーはまた微笑む。その笑顔を見て、非常に不愉快な気分になった。

けれども、このカウンセラーの「社会人経験がある」という言葉を信じるなら、私の退職に関して何かプラスに働いてくれるのではないか、という期待が湧いてきた。自分はとにかく退職したいわけだし、ここまで私に同情的なんだから何かしら力になってくれるのではないか、と思った。そういうことを考える自分は甘いのかもしれない。でも、そんなものにすがるくらいに、私は退職への道筋を探ることが出来ずにいる。

私は自分のままならなさや不甲斐なさで苦しんでいるのにどうしてどいつもこいつも、私の苦しみが外的要因から来るものだと決めつけて、勝手に泣いたりするのだろう。前に付き合ってた人もあのカウンセラーみたいに、勝手に私の苦しみを想像して泣いて、私の苦しみに飽きたときに「まきこちゃんは自分のことばっかりだね」という言葉を残して私をあっさり遠ざけたのだった。

私より先に泣かれたら、私はいつ泣けばいいんだよ、私は私の不甲斐なさやままならなさで泣きたいのに、勝手に外的要因のせいにしないでくれよ。

貴重な土曜日の午後、いつもより遠くの薬局で薬をもらいながら、「こういうのが感動ポルノか……」と一人納得していた。終わりのない冬と自分の無力さだけが、一寸先の未来を縛り付けているような気がした。

1月23日「メンタルの強さ」

去年の夏くらいに衝動的に死にたくなって、部屋のドアノブに社員証をかけて、10秒くらい眺めていたことがあった。今思うと、あの時間が去年一番長い時間だった。

周りは何も変わっていかない。会社も上司も相変わらずで、母親も相変わらずで、祖母は携帯を使うことを諦めた。

本当にメンタルが強い人は「すべてを投げ出せる勇気」を持っている人だと思う。不登校も音信不通で職場からいなくなるのも私は「勇気」がなきゃ出来ないと思う。だから一番メンタルが強い人は自分の人生を自分で早めに諦められる人だよ。私はメンタルが弱いので勇気が出ない。諦められない。

しばらくは諦められないまま、じたばたしてると思います。ドアノブにかけた社員証に首を通してじたばたしている、パラレルワールドの自分を時には軽蔑し、時には羨ましく思いながら、これからも生きていくんだと思います。いつまで生きてるかわからないけど。