副音声

名前変えました

9月13日「ツイート下書きまとめ」

ツイートのタイミングを失った短文の供養です。お彼岸ですね。彼岸花が好きです。オタクだから。

 

・バーチャル社畜youtuberを目指したい

 

・特定のアカウントや芸能人のことが「親でも殺されたのか」ってくらい嫌いな人の精神構造ってなんだろうね。親じゃなくて自分のコンプレックスでも殺されてんのかな。

 

・「ツイート面白いですね」って言ったら簡単に心を許すと思うなよ。股は開かないぞ。

 

・「表参道の人」の方にさっきオフパコDM来てた。早くメンヘラの男女が5人ぐらいで私の処女を巡って殺し合いをして欲しい。

 

・質問箱に毎日質問送ってた任意のアカウントが、明らかに私より後に来たはずの質問に回答しており、確実に「気づかれた」ことをご報告させていただきます。

 

・指笛奏者さんに関するツイートをすると、猪苗代湖より深い闇が出てしまうらしいので、今後は一切言及しません。

 

・「どろだんご日記」をリアルタイムで読んでいた、という一点のみにおいて、若林正恭さんのオタクにマウントを取ってしまったことをこの場を借りて謝罪したいです。本当にすいませんでした。

 

・自称非モテ童貞を仮想敵にしているけど、本当はそんなアカウント見たことない。

 

9月10日「どうでもいい、と思われること」

「どうでもいい」という気持ちはどこからどのように発生するのだろう。他人に対するどうでもいいという意識は、一体どこから来るのだろう。

 

ある一定のラインを超えた時、人は人を「どうでもいい」にカテゴライズする瞬間があるように思う。それは自分の気分を害された時なのか、雑に扱われた時なのか、はたまた面倒になった時なのか。それは人それぞれだろう。

 

人はみんな自分のことを可愛いと思っているはずだし、道徳の時間でも「だめな人間なんていない」と教わってきたはずなのだ。でもやっぱり人は人に対して無関心になる瞬間が存在する。

 

嫌いという感情が持てるだけ本当に恵まれているのだ。どうでもいい、という意識は他人を透明人間にしてしまう。ある一定のラインを超えた瞬間、一定の感情を超えた瞬間、その人は意識下から姿を消す。嫌いと思えるうちはまだ意識の中に生きているのだ。

 

人に嫌われるのと人にどうでもいいと思われるの、どちらがいいんだろう。まだ意識されているだけ嫌いの方がマシなんだろうか。そもそもなぜ人は人に認知されないと生きられないんだろうか。人に生まれてしまったことがときおり悔しくなってしまう。プラナリアとかになりたかった。

9月7日「世界で一番好きだった人の寄せ集め」

このエントリは、架空の抱かれたい人ランキングの1位(という体)で書いております。

そのため、いきなりここから読んでも混乱すると思うので、過去2つのエントリを先にお読みくださることを推奨します。

 

この記事はフィクションです。実際の人物を何人かモデルにはしていますが、実在の人物および団体とは一切関係がありません。これ、自分のことかな?と思っても他人の空似です。実在しません。そういうことにしておいてください。

 

めちゃめちゃ抱きたい人を考えた時に、会社の経理の人とか、本郷奏多似の取引先とか、いろんな人が浮かんでは消えていったけど、やっぱり一番最初にちゃんと好きだった人なんじゃないかという結論に達する。

 

世界で一番好きで忘れられない人の寄せ集めをすると、なんだかすごく気持ち悪くてサイボーグみたいな人物が出来上がってしまう。なんていうかそういう作業ってすごく惨めでどうしようもない気持ちの上に立っているし、思い出すだけで自然と涙が出てしまう。そういうものなのかもしれない。

 

その人は早稲田の文学部で西洋史を専攻していた。塾講師をしていた時にバイトの先輩としてお世話になった人だ。

和歌山県出身なのでずっと関西弁で喋る。大学になって初めて上京してきたので、関西弁の方が親しみやすいし、長いのだ。

 

「よくインドに行くと世界が変わるって言いますよね?A先輩がインドに行った時、『全然変わらなかった、普通だった』って言ってて、その時に『この人いい人なんだな』って思ったんですよ。」

 

私にしてくれたたくさんの話の中でこの話が一番好きだった。彼はどこかひねくれていて、それでいて、一方では素直だった。毎日シフトに入っているのはお金を稼いで、長期休みの時に海外に行くからだ。ヨーロッパはほとんど巡った後、東南アジアを制覇したいと話していた。

 

私は彼のことが本当に好きだったんだと思う。私が月曜日の13時に一番乗りで塾に来ると、彼はいつもyoutubeで前回の「バナナマンのバナナムーンGOLD」を流しながら寝ている。だから月曜日の最初の仕事は彼を起こすことだった。(ちなみにこれが水曜日になると「伊集院光 深夜の馬鹿力」になっている。起こすのは変わらない)塾にほとんど来なかった塾長の代わりに彼が塾の経営まで任されていたのである。

 

塾長の下にいた教室長はころころ変わった。みんあどうしてか30代の女性ばかりで、みんな彼のことを好きになった。彼にはどうしようもないくらい魅力があったのだ。「あの子って彼女いるのかな」、赴任して1週間も立たないうちに必ずみんな聞いて来る。私はそのたびに「どうですかね?」と首を傾げた。

 

よく過去の恋愛について女は「上書き保存」男は「新規作成」なんて聞くけど、一概にそうじゃないと思うんだよね。私の中では一緒に行った「サンシャイン水族館」も「東京タワー」も、「東京国立博物館」も高田馬場にある「チャイカ」も「麺爺」も自由が丘のインドカレー屋さんも、自由が丘の”ベネチア”も、府中本町にあったイタリアンも、新宿の「ホテルアトラス」も全部上書きなんかされてない。たぶんいくら違う人と何回も行ったところで思い出は上書きされない。彼が話したたくさんの話も上書きされない。

 

「私のことどう思いますか?」

 

暗くなった上野公園で、彼は私の問いかけに答えようとしなかった。私は踵を返して、街灯を頼りにJR上野駅まで歩いたんだった。塾はその日のうちに辞めた。

 

「塾はたたむことにしました~!今度は赤羽でJKリフレやりま~す!まきこちゃんってエクセル使える?」

 

どうして私は、彼のLINEも塾長からのLINEもブロック出来ないんだろう。私からLINEをすることなんてもう2度とないのに。

9月6日「架空の抱きたい人リスト その2」

※ある程度現実にいる人間をモデルにはしていますが、基本的にはフィクションです。あれ、自分に似てるな?って思っても他人の空似です。そういうことにさせてください。お願いします。

 

第3位 学生インターンに来ている内定者の子

 

大人しくてすごく可愛い。メガネも似合っているし、22歳には見えない幼さがある。彼は大学で哲学を専攻していて、本当は大学院に進もうと思ったけど、何の因果かわからないが私の会社を受験したらしい。私の会社はもちろん哲学とは正反対のところにいる会社だから、彼の決断は本当に大きいものだったと思う。

「周りのみんなはどんなところに就職したの?」と私が聞くと、彼は「就職したのは学科でも僕ともう一人だけでした。もう一人は春からシステムエンジニアになります」と教えてくれた。哲学は哲学でも彼の哲学は東洋哲学。学校の先生はお坊さんがほとんどらしい。どうしてこんな会社を受験したのかますますわからなくなった。聞けば社長がたいそう気に入って「内定が出ても蹴らないでね」と言ったそうだ。なんて優秀なんだろう。インターンとして働いている彼のタイムカードは真っ白で、彼は入社前からたくさんの人間に愛されている。ああいう男の子でも夜はオナニーするのかな、ああいう男の子でもAVを見たりするのかな、暗い部屋の中、私は彼の苦しむ顔が見たくて、ずっと真言を大音量で流していた。

 

第2位 別会社に行った関西人の同期

 

彼は先輩から「薄めの妻夫木」というあだ名がついていた。妻夫木みたいに耳が大きくて、色素が薄いからだった。

「まきこちゃん、元気か?」と休憩所で声をかけてくれる彼の声が好きだった。彼は京都市内の出身で、3日に一度はラガーシャツを着る。でも高校ではサッカーをやっていて、大学にサッカー推薦で入学した。同じ部署にいたことがなかったので彼の仕事ぶりは知らない。でも頭の良さそうな喋り方と、天性の人を不快にさせない優しさは、きっと他の人にも受け入れられていたと思う。

仕事が片付かない時、ハードディスクにデータ移動をしていて暇なとき、夜の12時を回った時、私はかならず彼のデスクに行って、彼と長々おしゃべりをした。彼の後輩である、秋田出身の可愛い男の子もときおり雑談に参加した。街を行く人が振り返るぐらいの美形なのに、東北弁がきつすぎて未だに何を言っているかわからないのだ。そんな後輩に彼は「なにゆうてるかわからんよ自分」と優しく突っ込むのだった。

今年の5月、大阪に新しく支社が誕生した。彼のいる部署が大阪支社にそっくり移動になったのである。京都出身の彼は大阪支社に行った。もう休憩所で私に声をかけてくれる人はいない。ひとりぼっちの休憩所で、彼のことを考えながら私はカップラーメンの残った汁におにぎりを投入した。

9月5日「架空の抱きたい人リスト」

※ある程度現実にいる人間をモデルにはしていますが、基本的にはフィクションです。あれ、自分に似てるな?って思っても他人の空似です。そういうことにさせてください。お願いします。

 

 

第5位 大学時代のサークルの先輩
この先輩にはカリスマ性がある、とみんなが言う。輝かしい経歴、明晰な頭脳、ひとたびインターネットで文章を書けばうなぎのぼりになるアクセス数、何百人もの友人がいて、その誰もが彼を慕っている。
だけど、彼の女性関係についての話は一切聞いたことがない。まるで触れてはいけないみたいに。女性関係は完全にタブーになっているのだ。
でも私は忘れたわけじゃない。先輩と行った吉祥寺の猫カフェのことを。あの時先輩が誕生日プレゼントにくれたベネトンの名刺入れを私は今でも使っている。フラットシートのネカフェで「もしかして処女?」と聞かれた時、なぜ私は恋人に遠慮なんかしたんだろう。あの時にセックスしておけばよかった。今や先輩は大手広告代理店に勤めるエリートサラリーマン。休日にたくさんの人間を集めてグランピングしながら、今日も生ハムの原木を切った様子をブログにあげていた。

 

 

第4位 中学校教員の同級生
私にホラー映画のなんたるかを教えてくれたのはその同級生だった。予備校で知り合った彼は、中学校教員になる夢を持っていた。自分の母校の剣道部の顧問になり、自分の指導で強豪校に導くんだ、といつも話していた。私と彼はたくさんのことを話した。平山夢明の小説や、絶版になった怪談本、マイナーなホラーゲームに、心霊のDVD。彼と私は共通の趣味で結ばれていたのだった。
友人の家で飲み会をした後、みんなが寝静まった部屋で確かに彼はこう言った。
「好きなんだ、本気で好きだと思ってる。」
その気になりそうだったのに、なぜあの時そうならなかったかと言えば、私はその時の彼の顔がすごく怖かったんだ。私が好きじゃなくて、私の通り越して何かと喋っているような気がして怖かったのだ。

去年の冬、通学中の小学生にわいせつな行為をしたとして、都内の中学校教員が逮捕された。彼のことだった。

 

第3位から1位は次の投稿にします。

 

9月3日「人生はまだ続くよ」

高校時代の友人に「25歳にまでに結婚できなかったら死のうかな」とLINEをしたら「私はとっくに諦めている」と来た。無視をしていたら、「結婚できたところでどうするの?人生まだまだ続くよ」と続けてメッセージが来る。

キュウソネコカミかよ、と思った(キュウソネコカミのアルバムに「人生はまだまだ続くよ」というタイトルのものがある。)

 

この友人は以前に会社の上司に振られた際、「あなたが私にくれたもの、たくさんお米が炊ける土鍋」「あなたが私にくれたもの、可愛い私のLINEアイコン」などという文面を送って来たり、恋をしている時も好きな人との1日の思い出を「今日もあなたが好きでした」の文章を添えて、私に送って来るようなユーモア溢れる人間である。だから7年弱も交流が続いているんだろう。

 

しかし、いつもは読み飛ばすはずのメッセージを前に私はふと立ち止まってしまう。私は結婚したらどうするんだろう。

「明日死なないために今、守るべき人が欲しい」とか「結婚したら収納をちゃんとするためにテプラを家中に貼る」とか、そういうことは考えられても、結婚したらどうなるかなんて、私はほぼ考えていないに等しいことに気がついてしまった。いや、今更かよ。

 

相手がいないうちには相手のことを考えられない、というのが正解だと思いたい。まだ見ぬ相手との結婚生活なんて想像出来る方が気持ち悪くない?と考えることでなんとか自分の平静を保とうとしたけど、そういうことでもないよな、と思い、勝手に意識が袋小路に入っていく。

 

 

また平日が始まる。平日、退勤をした後、帰るまでの虚無に本当に耐えられない。

20時以降一緒にご飯を食べてくれるような心の優しい方はいませんかね。あっ、奢りたくないんでできれば学生以外の方でお願いしたいんですけど。

8月31日「2度目がないことについて」

2度目がないということについて過剰に気にするのはなぜかといえば、私に「興味をもたれていない」という事実と向き合いたくないからだ。ここでいう2度目、というのは私と、「他者」が1回遊ぶなり、食事するなりした後の「もう一回同じ人と遊ぶなり食事するなりするという行為」ということだ。

 

基本的に誰かに会った後、よっぽどお互いの印象が悪いとかでもない限り、「今日はありがとう!」というようなお礼をその日のうちか翌日にするよね?それからしばらく(たとえば何週間ぐらいか)経っても「次はどうする?」みたいな話がないとすごく不安になってしまう。これは私に「もう一度会いたい」と思わせるような人間的魅力を保持していなかったからなのではないか、と悲観的になってしまうのだ。例えば「また今度行きましょうね~」と言ったとして、そのまた今度はいつなんですかと。何月何日何曜日地球が何回まわった時?

完全にこういう考え方は自意識肥大化の最たるものだ。人には人のスケジュールや生き方があるわけだし、本当に死ぬほど忙しい場合って誰かに会うとか考えられないし、特に深い関係でもない私に会いたいとか会いたくないとかそこまで考えているわけがない。

 

なのに、人から誘われないと「私に興味がないんだ」と不安になってしまう。自分が「人に興味を持たれる人間ではない」という意識がずっと拭えないために、他人の言動からその意識を強くさせたがっているだけだ。そこまでわかっているはずなのにめちゃめちゃ不安になっていくのってなんでだろうな。なんかすっごく怖い。

一応私もまともに生きていきたいという気持ちがきちんとあるので、そういう不安を当人に出すこともなく、ちゃんと次をお誘いする。友人だろうが、フォロワーだろうが、好きな人だろうが、自分が会いたいと思ったら、肥大化した自意識は一旦置いといて、自分から誘っている。でも、またふとした瞬間に思うのだ。「私ばっかり誘っているけど、この人本当は私のお誘いが嫌なんじゃないのかな。」と。

 

結局そういう自己否定の意識ってずっと残り続けるから簡単には払拭できない。そうしてなんとなく私から疎遠になると、向こうも特に連絡をすることなく疎遠になっていく。そんな人間関係ばかりを繰り返して来た。

本当はちゃんとわかっている。私以外の人は私に興味がなかったら、私の誘いを普通に断るのだ。私以外の人にとって単純なお誘いの有無なんて、本当に些細なことで、とりとめもない、どうでもいいことなんだ。

人間的魅力がほとんどないのに、有名人でもないのに、話が面白いわけでもないのに、顔が可愛いわけでもないのに、「私に興味がないんだ」って落ち込むのってちょっと自分のことが好き過ぎだよね。自分が好き、という気持ちを他の誰かへの好きに向けられたらいいのにね。