おかえり

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9月10日「どうでもいい、と思われること」

「どうでもいい」という気持ちはどこからどのように発生するのだろう。他人に対するどうでもいいという意識は、一体どこから来るのだろう。

 

ある一定のラインを超えた時、人は人を「どうでもいい」にカテゴライズする瞬間があるように思う。それは自分の気分を害された時なのか、雑に扱われた時なのか、はたまた面倒になった時なのか。それは人それぞれだろう。

 

人はみんな自分のことを可愛いと思っているはずだし、道徳の時間でも「だめな人間なんていない」と教わってきたはずなのだ。でもやっぱり人は人に対して無関心になる瞬間が存在する。

 

嫌いという感情が持てるだけ本当に恵まれているのだ。どうでもいい、という意識は他人を透明人間にしてしまう。ある一定のラインを超えた瞬間、一定の感情を超えた瞬間、その人は意識下から姿を消す。嫌いと思えるうちはまだ意識の中に生きているのだ。

 

人に嫌われるのと人にどうでもいいと思われるの、どちらがいいんだろう。まだ意識されているだけ嫌いの方がマシなんだろうか。そもそもなぜ人は人に認知されないと生きられないんだろうか。人に生まれてしまったことがときおり悔しくなってしまう。プラナリアとかになりたかった。